彼岸を過ぎてもまだ寒い日が多いが、日差しは日に日に強くなってきている。この時期、アレルギー性鼻炎に悩まされる人が多いが、幸い私には何のアレルギーも無く、外出が全く苦にならないので助かる(光化学スモッグが多発していた名古屋の真ん中で、劣悪な住環境に住んでいたことも、かえってアレルギー発症の防止になったか、などと考えることもある。)。
今の私は、明日からの診療に向け、準備に忙しいところだ。今回の診療報酬改定は、私の領域ではかつて無かったほど細かな規則があり、混乱を来たしそうだが、診療が適切に行われるように準備している。
ただ、忙しいとき、自分が「忙殺」されないように、ふと「間を置く」ことには注意しているつもりだ。私の診療所は都市の真ん中にあり、昼間は人と車の通行が多く、ダンプや救急車の音に悩まされる時もある。注意はしているが時々、患者さんやその家族の携帯電話の音が鳴る。私以上に耳が過敏な患者さんには申し訳ないと思う。ニーチェは、「われわれの大都市に特に欠けているものの何であるのかを見抜く洞察が、早晩、それも多分近い将来に、必要となるだろう。それは、思索のための静かな、ひろびろとした、うちひらけた場所、・・・」(『悦ばしき知識』信太正三訳)と書いた(美しい文章だが長過ぎて引用しにくいのが玉にキズだ)。
私にとっての思索と癒やしのパワースポットが、診療所から歩いて数分のところにある、白山神社だ。ここは、縄文期の遺跡でもあるらしい。小さくはあるが、杉と檜の入り混じった林があり、この神社の横を通り過ぎるだけでいい気分がする。いつの季節でもいい気分になれる。この神社のそばにM先生が診療所をかまえて診療されているが、お目にかかるとこちらの気が落ち着く先生だ。M先生は、当然ご自身の日頃のご努力が大きいだろうが、あの場所で古来からの生命力を得ているところもあるのかもしれない。
今日は、その白山神社を一人で訪れた。燦々と降り注ぐ陽光のもと、冬の北風としか言いようのない冷たくて強い風に吹かれながらも、満開の紅梅と咲き始めの桜の両者が花びら一枚も散らせずに隣り合わせる、不思議な光景であった。太古の時代から脈々と続く生命力に触れられた。私は力をもらった。
生命力を得て、これから頑張ろうとする時、逆説的に聞こえる人も多かろうが、死について考える。武士が桜を観て来し方行く末を考えたというのと似ているかもしれない。
死について考えて書けば、きりが無くなるだろう。今回は、重いテーマだが、自殺について考えたい。
自殺について、現場の臨床医の私が実名で語る時、当然ながら心理的抵抗がある。今も通院中の人がこんな話を読んで具合が悪くなったらどうしようかとためらう。こうして書きながらもまだためらう。これから私は、希望が見える話を書くつもりだが、「死」や「自殺」と聞いただけでアレルギー反応的に気分が悪くなる方は、ここで読むのを止めて欲しいと思う。
私のところに通う患者さんの何%が自殺を考えたことがあるだろうか。確信的に自殺を考えたり実行したりした人は少数だが、漠然と「死にたい」「死んだ方がまし」と考えた人も含めれば軽く10%を超えるかもしれない。また、自分は自殺を考えなくとも、親族や友達や同僚が自殺したことでショックを覚えている人も少なからずいる。私も後者の一人であり、また、自分が治療者として関わった方に自殺で亡くなられた経験が複数回ある。今、自殺を考えたり、大事な人を自殺で亡くして悲しみやトラウマが癒えない人に対し、何らかの救いがあれば、との思いでこれを綴っている。
自殺の類義語に、「自決」「自死」などがある。「自決」の語に表れているように、自殺行為というものは、最終的には本人が「自分で決めて」行うものだ。最後は本人が「自分を殺す」という行動を選ぶ。何かの苦悩が耐えがたいためなのか、「死後の世界」に誘われてのためなのか、誰かに対しての怨念を表すためなのか、理由はいろいろあろうが、何らかの苦悩があって、その苦悩に対しての対処策として自殺という行動をとる、というポイントが大事だと思う(その意味で、DNA決定論者のように「自殺遺伝子」などという言葉を使う人は、全く間違っている。そういう言葉を使う人はまともな臨床医ではないだろう。)。繰り返すが、自殺というのは、本人が選び取った行動であり、遺族や医療者ら周囲が過剰に自分たちを責めないようにした方がいいと思う。
精神医学や心理臨床につき、マニュアルや教科書は多々あり、自殺を考えている人にどう話すか、自殺未遂に終わった人にどう対応するか、自殺者の遺族にどう手当てするか、などいろいろ書かれている。ただ、私の浅学のせいかもしれないが、「今まさに自分の目の前で自殺しようとしている人がいる時にどう対応するか」というマニュアルは見たことがない。
私が駆け出しの頃であった。忙しい日々で病院に泊まり込むことが多く疲れもたまっていた時、ある患者さんが、私たちの目の前で、確実に死に至る方法で自殺をしようとしている現場に遭遇した。医療者である私たちは、必死で止めようと声をかけ、物理的にその人を守れないか、何とか動き回った。しかし、目の前でその行為は完遂された。私たちはすぐに救急救命措置をしたが蘇生はできなかった。
その光景が私のトラウマ体験になったとの自覚は無かった。その後十数年が経っている。その間はいろいろと忙しく、覚えることやするべきこともたくさんあり、その光景を思い出すのは、ほんの時々であった。ただ、その光景が出てくる時、「あそこで自分があの患者さんのふところに飛び込んで救えなかったか」との考えがぼんやりと浮かぶことが多かった。頭では、「あの人が自殺という道を選んだ」と納得しようにも、どこかで「自分があの人を救えなかったか」と考える思考が続いていたのだと思う。これは、裏を返せば不遜な考えである。自分があのような状況にある相手を救えた、との幼児的な万能感が心の一部にあったのだと思う。
私はあの件につき、ここまでの考えで停止していた。なにせ、若い医者や看護師は転勤族である。皆で集まってあの事件につき考える、という振り返りの機会は今に至るまで持てていないままだ。
私は自分で個人医院を開業してから特に、自分の限界を思い知らされた。患者さんの夜間休日の急変には対応できないし、自院でできる処置はごく限られている。そもそも診断や投薬についても日々迷いながらやっている。いまだ発達途上の医者である。そういう状況だが、大変な苦境にある患者さんがやってくる。表面上は普通に見えても苦悩が深い人がいる。今でもこの仕事はとても難しいと感じている。
開業後のある日、あの事件の光景が夢に出てきてハッと目覚めた。その時私は、あの時の一番適切な行動が何であったのか、瞬時に気づいた。そうだ、あの時私は白衣を脱いで患者さんに哀願するべきだったのだ、「僕のために死なないでください」と。あんな状況では特に、患者と医療者という区分けはないのだ。結果としては同じになっていたかもしれないが、私は白衣を脱いで哀願するべきだった。「人と人が会っている」原点に戻るべきであった。
不思議なことに、そう考えたら、急に体が脱力した。後悔も罪責感も自己肯定も無い、何か平穏な境地になった気がした。あの人の成仏を祈った。
自殺する人を責めるつもりは無い。ただ、この世に取り残された人は、亡くなった人との距離が近ければ近いほど、情動的な影響を受ける。私の体験以上の思考停止にも陥る。
もしあなたが、「自分が死んだ方が家族のため、人のためになる」と考えるならば、まずは本当に自分が健康な状態で考えることができているのか、よく考えて欲しい。毎日7時間眠れて、ご飯もおいしく、人と話してもいろいろと柔軟に考えて相手の立場に自分を置くこともできているか、検討して欲しい。「いのちの電話」でもなんでもいいので対話の相手を見つけるのがいい。自分が死んでいく過程を想像してみて、その後の家族や社会がどうなっていくか、事細かに考えてみて欲しい。何かにこだわりすぎていないか、変な宗教や妙な信念に取りつかれて、自殺することが英雄的だとか世界のためになるだとか、妄想のように考えていないか、検討して欲しい。本当によく考えてみると、自分のこだわりが小さなものに見えてくるはずだ。また、癌などで痛みが強いのなら、今はかなり痛みを和らげる医療技術がある。私は緩和ケアの現場でそれを見てきた。生命の残り時間が少なくても考えることやすべきことは無いか考えて欲しい。また、忙しすぎて「とにかく疲れている」状態で自殺を思うのならば、まず眠るのが先決だが、私にとっての白山神社のようなパワースポットに行くことや、山や海の大風景を見るのがいい。私たちの来し方行く末を想像してみて欲しい。そういう視点では、『今日は死ぬのにもってこいの日』(ナンシー・ウッド著)を読んで見るのもいいと思う。最後に、同書から引用したい。
わたしが
この世の無慈悲な息吹を身に感じるとき、
そしてわたしの道もまた
その道にあまりにも長く留まろうものなら
燃えつきてしまうことを知るとき、
いったいわたしはどうすればいいのだろう?
田舎にもう一度帰って
岩と一体になった鷲を見つけなければならない。
山の頂に登って
川が始まる源を見つけなければならない。
大地のそばに静かに横たわって
その心臓の暖かみを感じなければならない。
目を空に向けて
雲の目的を知らなければならない。
すると悩みははるかに遠ざかったように思え
あらゆる美を吸い尽くす息は
わたしの上を通り過ぎてゆく。