私の診療所は、大きなスーパーのそばにある。並びには美容室や喫茶店、雑貨屋などの個人商店があり、かつてはどこの町でも活気があった商店街の雰囲気をかろうじてわずかに残している感がある。私は、下町の商店街の中にある小さな店を親が営んでいたので、今のロケーションは昔に帰ったような懐かしい気分になることもある。町の人が「水谷さんとこで薬もらってきた」などと親しげに話すのを聞くと、この地域の一商店になれたような気がする。大学病院のようなところは知的刺激があって面白かったが自分が長居できるところではなかったと思い返し、今は自分の器に相当な場所を得たと思う。
大昔は地域の知識人であった「町医者」も、「情報化」の今ではその権威が本当に無くなっているようで、頼りなげで勉強不足と見られる(見かけではなくて実態か)私は、度々患者さんから、「双極性障害ではないでしょうか」「大人のADHDではないでしょうか」などと、診断や治療について疑問を出される。中でも、ネットで見た「チェック項目」に当たるから、とおっしゃる方が多い。そうしたチェックリストには医科大の大先生が監修者として名前が挙げられていたりするから信用がおけるようで、患者さんは善意で、無能な町医者に情報を下さる。時々「バカにされた」感じを受けようとも、こういう患者さんの御意見を遮っていると思わぬ薬の副作用や診断に大事な生活歴などが聴取できなくなるので、町医者の私は大事にしている。
振り返るに、20年前に私がこの世界を志した時に見た臨床現場の風景と今とでは、隔世の感がある。あの頃はまだ、精神科医の診察を受けるのには大きな敷居があり、患者さんも根深い病理を持った人が多かった。世間の人から一見して「狂気」「おかしい」と言われるよう姿や振る舞いの患者さんも多かった。そうした患者さんは今でも世間では大きく誤解されている。「何をするかわからない人」という誤解が多い。しかし、実際に彼らに接してみると、そうではないことがわかる。例えば、ある入院患者さんは、毎晩幻覚に悩まされて大きな声で叫ぶように独り言をわめいて止まらない日々が続いたが、ある夜中、別の患者さんが腹痛で苦しそうにしているのをいち早く見つけると急に真顔になって緊急の状況をナースステーションに伝えてくれた。このように、一見「全く狂っている」ように見えながら、かなり常識的でむしろ一般人より優しいところを持っている人が、結構たくさんいる。彼らは確かに脳の機能には失調を抱えながらも(脳は病んでいながらも)、犯罪者や変質者のようには心が病んでいることはない。私の身近な医師やソーシャルワーカーは、そうした患者さんたちの声にならない声をなんとか世間に伝えようと努力していたし、なんとかこの世の片隅にでも患者さんの居場所が作れないかと懸命に努力していた。かつての私の同僚の、あるソーシャルワーカーは、NHKで『心の病をわかって欲しい』との標題で精神病を患う人たちへの偏見を無くすべく懸命に演説をしたし、別のソーシャルワーカーは、ある身寄りのない患者をアパートに退院させる時、不動産屋さんの前で患者の兄として演技した(不安と薬の副作用で手が震える患者をひっぱたき、「しっかりせえよ、お前。すんません、こいつ、昔からこんな気弱な奴でして。」と芝居を打った。私はまるで、歌舞伎の『勧進帳』を見ているような気分になった)。そのソーシャルワーカーほどではないが、私もその患者には、自然と特別のはからいをしたくなり、休みの日に患者のために時間を割いても全く苦にならなかった。自然に体が動いていた。
もちろん全てではないが、幻覚や妄想などの危機状態の患者さんに対し、我々援助職が畏敬の念を抱くことが、しばしば起きた。あるベテラン医師は初診の場で、意思疎通が取れない幻覚妄想状態の患者を前にして、いきなり土下座して「ごめんなさい」と謝って患者を落ち着かせ、陪席者を驚かせた。そんな劇的なエピソードはいろいろなところであったと思う。
こういう状況では、先の『勧進帳』の例えで言えば、患者が義経であり、医師やソーシャルワーカーという援助職が弁慶である。家来の弁慶である援助職は、患者を通し、何かしら「大いなるもの」「深遠なるもの」「畏敬の念」を感じ、弁慶が義経を守ることに一寸の迷いも生じなかったように、援助者側の迷いが起きない。人間は意味に生きる動物と言われるが、「大いなるもの」や「聖なるもの」への献身となる行動では大抵のことは苦にならない。単なる長時間労働だけでうつ病になるわけでないのと同じ道理だ。
私の業界で「プレコックス・ゲフュールpraecox gefuhl」という専門用語がある。堅苦しい西欧語で、衒学的な用語と思われる人もあるだろうが、臨床の現場にいる援助者の感覚を表現した用語である。この用語は、先述のように、ある種の精神病状態の患者さんを見た時に、医師(援助者)の側が、精神の危機にある患者を「高貴」とか、「(間合いで)遅れをとった」とか「申し訳ない」とか「かしこまってしまう」といった感覚を持つこと指している。言語化しにくい、現場で経験しないとわからない感覚だ。表面上は平穏に見える患者を前にして、この感覚を抱いた時は、精神の崩壊の危険があり、要注意である。この用語の出自からわかるように、この用語は、患者の症状を「客観的に記述」するものではなく、医師(援助職)と患者の相互関係の中で医師(援助職)側に生じる感情(ゲフュール)を指す。ただ、そういう成り立ち上、どうしても主観的な要素が入り得る。
しかし、昨今では、しばしば専門職でも、このプレコックス・ゲフュールという用語自体を知らなかったり、その意味を誤解したりしている人が多い。そうした誤解の中には、「狂気」を前にした時の「不気味」や「意味がわからない」という、患者から距離を取った傍観者に生じる感情だとか、「脳病」と見下して感情移入しようとしない医者の姿勢だとか、援助者側の勝手な思い込み(逆転移)だとか、いろいろある。そうではなく本当は、援助職として目の前の事態をなんとかしたい、とのコミットする姿勢があって、相手の身になろうとするが、どこか「ズレ」「遅れ」「申し訳なさ」などの違和感を感じてしまうという、言葉以前の感覚を表現している(と私は解釈している)。
ただ昨今では我々の業界でも、民主党の「事業仕分け」祭りと同様に、「プレコックス・ゲフュール」のような「現場のプロにしかわからない」感覚を表明すると、「独断的」と非難されたり自己陶酔者扱いされたりする。下手な場所で(我々の専門の学会でも!)そんなことを言うと「エビデンス(証拠)はあるのか」「時代錯誤だ」などと問い詰められる。
こうした風潮の現在では、患者さんの内面がどうであるとか、患者さんと相対する医師や心理士などの援助者の側の心理がどうであるとか、そんな話は不問にされ、患者さんの外見に表出される「症状」や「問題」が「改善」されることが至上命題となる。例えば社会保障分野では、いかに個々人が生活保護制度などに頼らず経済的に自立するか、が問題となり、「自立」できた人の生活の「質」は不問にされる。また、精神疾患患者の医療費を補助する制度の法律は21世紀になり「自立支援法」と名を変え、患者の経済的な自立が最終目標とされた。生活保護受給者や精神病者、脳死状態の人、認知症の人、など、弱者につき、彼らの内側に入って見た世界はどうなのか、との想像力が働かされることはなくなり、「援助や治療費にいくらかかり、国にどのくらい負担を強いているか」という、冷徹な経済学的な視点ばかりが優勢となっている(例えば、認知症の進行抑制に使う薬の代金負担と、認知症が進んだ時の介護保険料負担や介護者の労働の価値と比べてどちらに利益があるか、とかいう比較がなされる。)。
21世紀の日本はますますアメリカの後追いをしており、病者や弱者の困窮への視点は、「客観的」「外から見た」視点で平準化され、とても味気ないものになった。20世紀時代のように「相手の身になる」、コミットする姿勢は、ますます下火になりつつある。先の「プレコックス・ゲフュール」についていえば、その感覚を感じる援助者は「発達障害」の徴候を誤認している、とする理論も出てきている。そんな状況なので、統合失調症の患者さんや御家族からも、「発達障害ではないですか」との疑問もたびたび寄せられるようになった。
発達障害の人は、生まれつき「心の理論」を持ち合わせていないので、「相手の身になる」視点が持てないとされるが、社会制度を設計・運用する側の官僚や医科大の先生方も、「相手の身にならず」「操作する」発達障害者的な姿勢で仕事をしている (むろん、本当の発達障害の患者さんが傲慢な姿勢というつもりではない。他人の考えや気持ちが読めずに苦しんでいる発達障害者は多い。その一方で、本来は「相手の身になる」ことができる健常者が発達障害者のように振る舞っていることが問題だ。)。
21世紀になってのこの10年余、私の診察室では、プレコックス・ゲフュールのように、即座に無条件に患者さんに敬意を持つような場面はずいぶん少なくなった。逆に「弱者の衣を纏った強者」となった、「ユーザー」「カスタマー」という「お客さま」立場の患者さんのあまりに図々しい要求に困らされ辟易することが多くなっている(彼らは無条件に自ずから牛若丸の立場に立っていることに気づかない。このあたりは稿を改めて書きたい。)。
ただ、今でも何人かの患者さんに相対した時、牛若丸に尽くした弁慶のような気持ちになれる瞬間があることが私の仕事への起動力となっている。そうした患者さんたちについては、陰ながらいつも感謝している。