先日、多治見市民の方々にうつ病について講演する機会を得た。大変名誉なことであるが、こういう講演が一番の苦手だ。聴衆の中には、うつ病を患って苦しんでいる方もいれば、全く違う心の病を患っている方もいれば、自分の悩みがはたして病気かと悩む人、病者の家族、うつ病の部下を持った上司、子どものうつ病発症予防に関心を持っている教育者、保健師などの援助職、など、いろいろな人がいる。こういう講演をすると質問がたくさん出るし、会が終わっても個人的な相談をしてこられる人が何人もいるので、講演後になって初めて聴衆の背景がわかる。
事前から講演の内容については悩み続けた。いろいろな聴衆を想定して、その各々が私の講演を聞いて何か一つでも得ることがあるような内容を考えた。しかし、いろいろな聴衆を想定すればするほど話はまとまらなくなり、結局とりとめもない内容になってしまったと思う。
いつもながら脇の甘い私は、講演の中で、例えば『ためしてガッテン』のような、製薬企業の隠れ広告番組に御注意下さい、残念ながら全てのマスメディアは今では製薬産業とパチンコが大きな収入源となっていまして、表向き広告収入が無いと言うNHKも外郭団体を通してですね…、などと話してしまった。
数日して、中日新聞に私の顔写真入りで講演のことが紹介されていた。診療所に来られる患者さんが教えてくれた。その記事では、「相手に調子を合わせる”いい人”がストレスをためやすい」とか、「『薬を使って無理に社会復帰し、病が慢性化する場合も多くなっている。十分な休息が一番大事だ』と、抗うつ剤に頼った治療に警鐘を鳴らした。」と穏便な内容で紹介されていた。
「抗うつ剤に頼った治療に警鐘を鳴らす」くだりは、微妙なところだ。一言にうつ病と言っても、様々な状態があり、数年以上、場合によっては10年でも、少量の向精神薬を飲む必要がある場合もある。また、「薬を使って無理に社会復帰」することは必ずしも否定されるべきことでもない。無理をしてでも頑張らないとけないケースや、頑張る意義があるケースはある(例えば、医師の南木佳士さんは、自身がパニック障害だと表明しているが、服薬しながら長野の過疎地で診療し、小説も書いているそうだ。)。先のような記事が、頑張って闘病・生活・仕事をしている患者さんの勇気をそがないように祈りたい。
私は、最近のマスメディアやIT空間で、うつ病はなかなか治らないものだとか言われる「常識」を何とかしたいと日頃から思っている。歴史的に見ても、石垣島や現在の診療所での臨床経験からも、本来うつ病はかなりの自然回復力が見込まれる病気だと思っている。しかし、うつ病になる人、なりやすい人は、メディアやITで否定的な情報を見るとそれに悪影響されて、悲観的になって病状を悪くしてしまう(負のプラセボ効果がかかりやすい。)。そこが製薬産業の一番の客層になる。正常範囲の不安や抑うつ感情をあおれば彼らの商売になる(恥ずかしながら私の商売にもなる。)。このような業界事情があるから、私の講演では、石垣島ではかなりの自然寛解例があったこと、東日本大震災で被害を受けた東北では地域の人間関係の絆が強く、予想されたよりもうつ病やPTSD反応が少ないと言われていること、「お忙しい」が敬語となって世界で一番時間に厳しい日本の強迫神経症的文化や小泉「改革」後の個人主義化の進行などの社会状況がうつ病の発症圧力になっていること、など取り上げた。地域や時代、文化によってうつ病の経過は異なるという、相対的な視点を取り上げ、本来の自然回復力の重要性を話し、患者さんの自己治癒力を引き上げたいと考えた。
私は、基本的にはうつ病は脳の失調だと考えている。それも講演で話した。ただ、うつ病は脳の失調状態であっても、かなりの自然回復力を見込める病である。うつ病は「脳の生活習慣病」と言われることもあるが、病態を言い当てていると思う。同じく生活習慣病の糖尿病や高血圧でも、生活習慣を変えることだけで改善するケースもあればそうでないケースもあり、そのあたりをよく見極めていくことが専門家の技術の一つだと思う。だから、「うつ病は脳のセロトニンの不足です」とか「うつ病が治っても再発予防に抗うつ薬を2年間飲み続けないといけません。」とか言う、あたかも「常識」「定説」化された話を講演ですることはためらわれた。講演を聴きに来られるような方は素直な性格で、おそらく現在の定説に懐疑的な方は少ないと思われたので、あえて定説とは違うことを話した。
もっとも普通の人間、定説を覆す話を聞くとたいていは動揺するものだ。特にうつ病親和型の人は、保守的な方が多く、先のような話を市民講演でするのはいかがなものかとためらわれた。私が研修医の頃、先輩医師から、うつ病の人は権威に守られることが治療的になるため、患者と接する時は若くて経験がなくて自信がなくても威厳あるように振る舞うことが治療的に大事だ、と教えられた。そういう姿勢は今でも、一部の患者さんたちには有効である。私が講演でNHKのような権威を否定することはそういう患者さんを揺さぶって反治療的になるかもしれないと懸念されたが、今ではマスメディアも大相撲も製薬企業も、構造的なほころびが隠しきれないものとなっており、私が言おうが言わまいが自然と患者さんたちの耳に入ってくることだと判断した。それならば、今回のような話をする意義はあると思った。
私の心配には及ばず、あの講演の後、老若問わず何人もの患者さんから、歴史的なことや、マスメディアや製薬産業の問題につき知って良かった、逆に安心できた、などと感想をいただいた。私の事前の懸念は杞憂に終わったかと思う(否定的な感想を抱かれた方もいると思うので全員に良かった内容とは思ってはいないが)。あらゆる権威が権威でなくなったこの時代では、かなりの人が社会の変質を感じている。企業は社会貢献より利益ばかりを、TV会社は社会正義より視聴率だけを、追求している。この日本では、表面には見えない価値や数値化されない質よりも、金額に換算される数字がすべて、の世界になった。「縁の下の力持ち」は無視されるようになった。うつ病親和気質の人々のほうが一般の健康人よりも、この社会の崩壊を先んじて感じているのかもしれない。「日本は天皇を中心とした神の国」「会社は家族」などの物語が崩れ去っている(それらの物語はもともと存在しなかった、ただの神話であったかも)と、皆が気づき始めたこの頃かもしれない。このような時代では、大正時代のエログロナンセンスのように退廃していくこともあるだろうが、鎌倉時代の絶望的な状況の中で親鸞のような肯定的な思想が出てきたように、逆に希望が見えてくるかもしれない、などと考えさせられた。