医学の専門分化が進んでいる。内科の中の循環器内科、その循環器内科の中の慢性心不全専門、精神科の中の児童思春期専門、その児童精神科の中でも児童のPTSD専門、といった専門家が育成されてきている。そういう専門家は、ある種の病気の患者さんには代えがたい大事なプロフェッショナルではある。
しかし、私のようにプライマリケアに関わる人間には、専門的知識も大事だが、臨床医一般に必要なコモンセンス(一般常識)が必要である。私の専門の精神科に限っても、人間の発達と退行(一般用語で言えば成長と老化)の視点を欠けば、診断や治療を大きく間違えることになる。「元々どんな人だったのか」という発達について考え、「何かの能力が失われつつあるのか」という老化・退行的視点も考えないと正しい診断と治療ができない。
一般に人は一つの病気だけに罹るわけではない。私の専門分野だけとっても、発達障害を抱えた人がうつ病になったり、時にはPTSDになったり、後に認知症になったりする。また、そういう人が、身体的な病気にももちろん罹り、肺炎や糖尿病や癌になったりする。
実際の医療は、なかなか理屈通りにはいかない。内科と私の専門の精神科との関係で言えば、例えば高血圧などはその代表である。慢性的なストレス状況にある人が、診断基準上は全く正しく「本態性高血圧」と診断され降圧薬を処方され10年来になるという人が、私のところに来られて、ほんのわずかの向精神薬を投与して不眠や不安症状を改善したり、薬は出さずとも職場や家庭環境の調整をしただけですっかり高血圧がなくなってしまうケースは少なくない。これは別に私の特殊技術では無く、精神科医や心療内科医なら普通に経験することだ。最近は、心身の相関、統合的医療、総合診療、など声高に言われることもあるが、一般の内科系の医師でも、全くこういう事実に無頓着な人がいる。昔から心身の相関関係は知られているが、現在の方が昔より心身を切り離して考える傾向が強まっていると感じる。
先日、親しくしている内科医二人と一緒に医療について話す機会が持てた。お互いに、日常の診療の実務で困っていることや仕事のやりがいとなっていること、など、ざっくばらんに本音で話ができた。大変勉強になった。今や、IT時代だから、一般の方の中には、医療知識の取得はITでの検索や文献で事足りると思っておられる方も多いかもしれない。昨今は医師の中にさえそういう人がいて、非専門分野の治療を、製薬会社やガイドラインの勧めるがままの治療を行う人もいる。それは時には危険である。
先日の会合の中で、在宅診療を一生懸命やっている内科医の側からは、末期癌の患者や致死的な病状にある高齢者が自宅で最期を迎えたいという要望に懸命に応えようとしているがいろいろ苦労も多いと聞かされた。例えば終末期の患者さんが肺炎を起こした場合、在宅で看取るよりも一時的に短期入院する方が本人にも家族にも良い場合もあるし、一時的に施設入所する必要が生じることもある。その際、病院や施設側の受け入れが良ければいいが、良くない場合も多々ある。そうした時に、どこにどのように支援をお願いして患者と家族の納得する最期を迎えさせてあげられるかが、腕の見せ所だと語った。これは日頃から患者やその家族、病院や介護施設、ケアマネージャーなどのたくさんの人や施設と良い連携がとれていなければできることではない。彼は、いろいろと苦労しながらも、患者家族や介護スタッフらと一緒に問題の解決法を探っている。医療免許を持たない家族も患者をケアする「チーム」の一員として、治療に参加させている。例えば、患者の奥さんであるおばあちゃんに喀痰の吸引を手伝ってもらう時に、「それでは呼吸器科の○○子先生お願いします~」などと明るい口調で介助をお願いし、介護中の皆に自然な笑顔が出ることがあるという例を話してくれた。彼は、「とにかく(家族と一緒に、患者のケアをする)チームになれるかが(在宅での看取りの)成功のカギ、そのために家族構造をよく見る。遠くに住んで何も協力しない子どもが急に横槍を入れてきたりしないかとか、よく見極めている。」と話していた。彼が全ての患者さんや家族の要望に応えられている訳ではないが、今の医療・介護制度の枠内でできる限り、患者さんといろいろな人や施設とを「つなぐ」仕事をしている、それが良い看取りの環境を作っていることを再認識し、いつもながら感心した。昨今は「総合診療」「全人的医療」などと聞こえの良い標榜をしながらも、実際はできていないところが多い。「総合する」診療・ケアは一人でできることではない。うまくあちこちと連携をし、つないでいくことが肝要だと思う。
今や、患者の病状や入院・入所期間によって、病院や施設側の利益がずいぶん異なってくる時代であり、公立病院も独立法人化されたり指定管理者が置かれたりして利益追求せざるを得ないようになった(それを批判するつもりはない。実際、全く患者本位で治療していると経営的に破綻してしまう制度になっている。)。公立・民間の区別なく、「総合」病院と言っても、多職種や他の医療機関、家族などと上手く連携をとった「総合的」診療が行われていないところが結構ある。化学療法が効かなくなったと判断された患者はすぐに見捨てられたり、癌が多発転移したら自分の診療科の病気でない、として他の診療科や他病院に押しつけようとすることも少なくない。
最近は、例えば内科でも専門は「循環器内科」「腎臓内科」などとし、外科系なら「泌尿器科」「耳鼻科」などと言うように、自分が専門で担当するのはある「臓器」であるとする、「臓器医者」が増えている。そうした「臓器主義」になると精神科医は困ったものだ。なにしろ、精神科は専門の臓器を持たない。無理に言えば我々の専門の臓器は脳なのだが、今や脳の専門家は脳外科であったり神経内科であったりする。精神科医の専門は「心」「精神」になってしまうことも多い。そんなわけで、末期癌患者がそれまでの主治医から見捨てられると(「臓器医者」ほど簡単に患者を見捨てる傾向がある)、患者の「不安」「抑うつ」は「精神症状」と見なされて精神科に押しつけられることがある。実際、私も、総合病院勤務時代、多発転移の癌患者の入院の主治医になったことがある。その時、「この不安は癌患者として当然の不安、症状ではない」と突っぱねることもできたが、それでは患者も家族も困ることがよくわかったので、仕方なく引き受けた。幸い、仲間の内科医や看護師たちの協力があって診療は問題なく進められた。大病院で顔も知らない人がいるような病院ではなかったので、日頃関係の良かったスタッフとのつながりがあったのが良かったと思う。
一人の患者さんに対して各専門家がそれぞれの技能を発揮し、他の専門家と連携していくことが、「総合診療」になるのだと思う。やはり、「つなぎ」が大事だと思う。良い連携をするには、日々のお互いの意思疎通、自分の関連・隣接分野についての知識を持ち相手の守備範囲を理解すること、などが大事だと思う。
そんなことを考えている今日、近年毎年変わる総理大臣の次期候補が確定された。前総理は大震災の危機に当たり、復興相という新組織をにわかに作り、公式の場で子どものようにサッカーボールを蹴ったり、被災地の知事を恫喝したりする人を大臣にした。「政治主導」と言いながら財政の問題が生じれば「各省庁予算一律10%削減」とした。今度の総理候補は、「事業仕分け」をする省庁を新たに作るという。彼らは、既存の組織をうまく「つないで」「総合」して有効活用することは頭に無いようだ。「総理」大臣の役目とは何だろうかと疑問に思わせる。こんな状況で困るのは官僚や地方公務員たちであり、結果的には国民である。これなら先の私の友人の内科医が総理大臣をした方がよほどいい仕事をするように思えてしまう。