先日、岐阜県の精神科医や精神科ソーシャルワーカー、臨床心理士などの集まる研究会に参加した。台風が近づき大雨になっている中の日曜日に、勉強熱心な人たちが集まった。皆の発表を聞いていると、この仕事が好きで、もしくは天命として選んで(英語で言うvocationとしての意味合いで職業を選んで)生き生きと働いていることがわかった。こういう姿勢で働いている人たちは、皆、個性的でそれぞれの魅力がある。学者の集まる学会ではありがちな、相手を論破することを目的にした質問や批判はなかった。皆が自分の臨床能力を上げるために発表者の話を聞いて質問・議論する会であった。
その会の中で、ある若い精神科医は、引きこもりの少年少女との面接に当たって、いわゆる「オタク」的な話題(機動戦士ガンダムのある場面がどうこうだ、とか、私には全くわからない話)を通して、孤独な子どもたちとの対話を膨らまし、彼らの閉ざされた心を自然に開かせていく、という手法について話された。診察室の中で、一時の時間、医師と患者という関係はさておいて、マニアな話に花を咲かせるオタク仲間になり、思春期少し前のような雰囲気が医師と少年との間に自然に醸し出され、その雰囲気が子どもたちの成長力を引き出している、と私は理解した。その医師は自分の個人的趣味から少年らとの会話を楽しみながらも、単にオタク話に没入してばかりはせずに子どもと自分の関係性や治療的意義を意識しながら対話をしていく、というスタンスを取っているようだ(専門領域では「関与しながらの観察」などという)。これは一つの優れた技である。彼の発表を聞きながら、私は、彼より40歳以上年上の、尊敬する精神科医を思い出した。その先生は、先ほどの引きこもりの子どもたちよりもずっと重症な、自分の体験を言葉にすることができないほどの、圧倒的な苦しみの体験を持った精神病の患者さんにある種の絵を描いてもらったり、一枚の絵を患者と一緒に描いたり、という絵画療法をされる。先生は、患者さんに絵を描いてもらうタイミングや場所について、患者さんに侵襲がないように相当慎重な配慮をなさっていた。絵というものは、患者さんが自分でも知らないその内面を意図せずに出してしまうところがあり、描画をめぐるやりとりが治療的になることもあるが、侵襲的になることもある(昨今は何でもいいから患者に絵を描いてもらい、それをデータ分析して研究業績にしようとする精神科医や臨床心理士が一部にいて問題になっている。東日本大震災でも被災地支援を装って実は自分の研究のデータ集めのために避難所に行った連中がいて、日本精神神経学会は先日非難声明を出した)。
そのベテラン先生は日本でも有数と言って良い大教養人であるが、先の若い医師とは違って、オタク的なことは全く知らないどころか、一般に「常識」とされることも知らないことがある(プロ野球の巨人のV9時代に生きていながら、「ナガシマシゲオ」と聞いても知らなかったり、患者さんから「ベン・ジョンソン(陸上競技のカール・ルイスのライバル)」と聞いたら中世の哲学者と勘違いする、といった具合)。しかし、歴史、社会情勢の変化や日本の地誌的な状況にはすこぶる詳しく、名古屋や神戸という大都市のどの地域に、どのような人々がどのように生活しているか(例えば、ある場所には九州のある地域の人が集団就職して住んでいてどのように親類関係が強いか、とか)ということは事細かに知っており、いくらかの情報が与えられれば患者さんの社会的背景をかなりの精度で類推することができた。私もその先生に自分の出身地を話したことがあるが、地域の雰囲気や背景をよく知っておられ、本当に驚いたことがある。そういう先生だから、「ナガシマシゲオ」やオタク文化は知らなくとも、患者さんと話していけば治療上必要なことはちゃんと把握できて治療に生かせている。
精神科医も患者もそれぞれ出自があり、医学的知識を除いても、互いが知っていることの違いは大きい。「オタク」趣味を持つ人も持たない人もいる。お互いのバックグランド(時代、地域、家族、経済状況、職業、趣味、宗教など)が共通すれば理解が早い面はある。「オタク」文化に詳しいことは一つの治療的用具になりうる。しかし、日本の中に限っても、個々人本当にいろいろなバックグランドがある。私たち精神科医が医学的知識以外に「一般常識」として知っておくべきことは多い。社会の諸事情をすべて知っておくことはできないので、最大公約数的に効率良く知っておく必要がある。そういう意味で、ある大先輩の先生は、下手な医学文献を読むくらいなら昭和史をよく読むこと、中でも庶民の生活の歴史を読むことが、治療技術を上げるうえでずっと有益だと薦めていた。それは、的確な指導であったと実感するこの頃である。