最近、この多治見市のような町でも、接客業でモンスター客に困らされている心身を病んでいる人が多い。接客で悩み、適応障害やうつ病、パニック障害、胃潰瘍などの心身症を発症して来られる方は増え続けている。
スーパーのレジに並んでいた客がたった数十秒待たされただけで、レジ係が「お待たせしました」の一言を言わなかった、と激しく怒り、店長ともども5時間立たせて説教した、なんて話は決して珍しくない。この地域の公立総合病院でも、ほぼ毎日のように外来窓口で激高する「患者様」がいると聞いている。
私は、下町の商店街で零細商店を営んでいた親の影響か、医師になった時から「先生」意識に乏しかったのだろうか、研修医の頃、「患者さんに丁寧すぎる、サービスしすぎる」と、先輩医師に軽い注意を受けたことがあった。大阪商人の流れをくむその先輩は、「『お客様は神様です』、っていう言うけんどな、あれはお客に何でもサービスしてあげるいうんと違うんや。大阪の昔からの商売人の一つの作法なんや」として、次のように説明してくれた。
「神様」としての「お客様」とは、
1)物の対価としてのお金を下さる「神様」:あくまで売買の時だけに限る、ありがたい「神様」。客も店主も売り買いの時だけの「神様」とわかっている。その一時に店主と客が寸劇「神様ごっこ」をするようなもの。売り手も買い手もお互いがそういう常識を共有していたのが古き良き大阪の文化。当然ながら、そういう意味での「神様」である客に対し、お店もサービスはするが、対価に見合う以上のサービスはしない。
2)「まれびと」(折口信夫)としての客:異界からやってきた訪問者、何かの縁で客として目の前にいる「まれびと」=「神」。この観点では、「まれびと」である客を神そのものとしてあがめる意味もあるが、その客人にめぐり会わせてくれた神の計らいを感じ、その摩訶不思議な縁起にこそ感謝する。
もちろんこれは、その先輩医師の独特な解釈かもしれないが、私にはすっきり頭に入った。今でも、モンスター客に関する相談を受ける時、この話が頭に浮かび、問題解決のヒントにつながることもある。少なくとも、先輩のように考えると、「お客様は神様」を文字通りに受け取ることがないように、と意識しておくことができ、気楽になれると思う。