娘から聞いて驚いた。級友が掃除をサボるために、実際にはアレルギーもないのに「ほこりアレルギーだから」との言い訳をしているという。中には「水アレルギー」と言う者もいるという。我々の体内の60%を占める水に対するアレルギーがあるということは、マンガ『北斗の拳』のケンシロウではないが、「お前はもう死んでいる」ということだ。その話を聞いた私は、大笑いした。
そういう場面で昔なら、「オレ、掃除なんかしない。お前みたいな汚い奴がやればいい。」と言って逃げていくくらいで、わざわざアレルギーなんて口実は言わなかったように思う。現代の子はひねくれていると言えばひねくれているし、相手を傷つけないような物言いを心得ていると言えばそうとも言える。
そういう話を語る娘に、スギやヒノキの花粉アレルギーがあることに私は若干の淋しさを感じる。私が大好きな癒やしのヒノキ林も、春の時期の娘にとっては苦しみの森となってしまうからだ。この現代、花粉や食物に対するアレルギーを持つ人は増え続けている。祖先が永らく守ってきた杉や檜の林を仇に思えてしまう人が増えているのは淋しく思う(現実にアレルギーを持つ人にはまったくお気の毒な話でしかないので失礼な物言いだが。)。
学生時代、スーザン・ソンタグというアメリカ人の著書『隠喩としての病』を読んだ。エイズという病を患っているということは、性的・人種的・社会階層的なマイノリティであり、アメリカ社会の主流に属する集団ではない、ということを象徴しているという話だったと記憶する。(20年以上読み返していないので御本の内容と違っていたら、ソンタグさん、すみません)。
先の娘の話にも象徴されているが、現代日本人の社会病理の隠喩は、「アレルギー」だと思う。免疫学者多田富雄先生が強調されるように、アレルギーとはつまるところ、「自己」と「非自己」を区別して、「非自己」を異物(アレルゲン)として攻撃するシステムである。汚れを伴う掃除を一部の人間に押しつける連中と同じく、現代の日本社会は強者である富裕層や多国籍企業の利益の代償を庶民や次世代に押しつける、イジメ・排除の構造の隠喩としても、「アレルギー」表現があると思う。生活保護世帯を社会のアレルゲンであるかのように異物視する言論は増えている。実際、政治家の言論にもしばしば見られる。いわく、「(敵対者の言論に)虫ずが走る(アレルギー性じんま疹の喩え)」、「選挙で選ばれた市長の指示に従う公務員なのか、そうでない公務員なのかはっきり区分けしたい」、「原子力アレルギーでは日本経済はやっていけない」、などなど。メディアで主流や「世論」とされる「自己」的な日本人(それはもはや多数派でもない、仮定された日本人像でしかないのだが)と、周縁的な立場の多様な弱者の「非自己」的日本人とを屹立的に区分けする様態を、アレルギー的比喩表現に感じるのは私だけであろうか。
現代の日本では、集団から排除されて自分の心が動揺することを怖れてなのか、自己主張を極めつくして自己満足を得たいがためなのか、「自己」にこだわりすぎている人が本当に多い。そういう人は、上は60歳くらいから、年齢を下るにつれ加速度的に増えていると思う。私の専門分野では、「自己愛」の病理と言われる。私の診察室でも、「私の存在って何って疑問に思った」「私って何のためにいるかと思って・・・」などは頻繁に聞く表現だ。こういう言葉を聞く私は、患者さんごとに返答を変えてはいるものの、内心では大きな戸惑いを覚えている。水谷某という私が、「私は何のためにここにいるか」と自問したら、答えは出ない。「たまたま、縁あって日本に生まれ、精神科医という因果な商売をしている者ですが、それは何かの因果としか言いようがないのです」、としか答えられない。松任谷由実の『卒業写真』の歌詞に「人混みに流されて変わっていく私」とあるが、今の私もそうとしか言いようがない。たくさんの人との出会いによって流されながら変わってきたと思う。医師になって数年目くらいまでは、うつ病に示されるような喪失や悲哀感を全く実感できずに、「サボり」とか平気で口走ってしまっていた、粗野で無神経な自分も水谷某だし、老人の悲哀の心のひだに共感できる今の自分も水谷某である。両者は今、同一の身体の中に共存している。
「君はどういう人間なのか」という質問に対し、「私はこれこれの人間です」ときっぱりと答えることは一つの落とし穴である。「私はかくかくの人間です」とはっきり答えてしまった時、その表面的な言葉に縛られて「ブレない」自分を目指し、「自己」に執着し、かえって柔軟性を失っていく。今の総理大臣の表情や言説にその硬直性は表れていると思う。総理大臣は職務上のタテマエとして「ブレない」人を演じているのかもしれないが、あの姿を模範にして生きていては息苦しくなるばかりだろう(アレルギーの発作でもまさに、息ができなくなる。)。これを心理学的には、「自己同一性」アイデンティティの確立の問題だとされるが、ほんらい柔軟性をはらんでいるべき自己について、「同一性」の確立を追い求めすぎる罠の問題だと言い換えた方がいいと思うこともある。
我々には、自己に執着する罠が隣り合わせだということは、かつての日本では常識だったと思う。大昔の道元禅師はつとに指摘している。平家物語などの無常観や武士道でもそう語り続けてこられたと聞く。そういう日本文化にありながら祖先の英知を受け継げていない日本人を見ると、かなしく思う。今や道元を読むのは難しいが、現代日本の偉大な詩人、宮沢賢治の作品には、わかりやすい表現が随所にあふれている。例えば次の代表的な詩には凝縮された表現がある。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(『春と修羅』より)
ここには、他者と「有機」的な血の通う「交流」をし、他者のリズムと共鳴・交響してできあがった自己が表れていると思う。いわば、他者へのアレルギー反応がない自己である。ただしそれは、あくまで「仮定された」自己という「現象」であるという含みもある。そういう自己は常に可変性を秘めている。何かわからないが何かの因果で、その都度の役割を課せられている、受け身的とも言える自己である。私はこの自己形成を理想としている。
しかし一方で、宮沢賢治的な生き方をすると、自己に対する防御(それはアレルギーの隠喩で言えば免疫抗体、免疫反応である)を失い、戦うべき外的と戦うための免疫という防御システムを失う、エイズのような「免疫不全」状態となって自己の生命の危機に瀕するかもしれないという、心配におよぶ。実際に賢治は短命であった。自己が強固すぎても弱過ぎてもいけない。これは、自己と非自己との関係、自己と他者との関係に関するジレンマである。かく考えて、私の惑い続ける不惑の時代は続く。そうしているうちに私の体にもヒノキやスギへのアレルギーが生じるのかもしれないと怖れる。そんな私に対し、道元禅師ならば、「アレルギーが無いなら杉林を愉しむべし、アレルギーにならば悲しむがよろし」と一喝しそうな気もする。
子どもの日に、子どもにはわかりにくい話を書いたと思う。でも、未来の子どもたちにはエールを送りたい。