少し前のことになるが、私のことをある地方新聞の「ドクター紹介」記事に紹介していただいた。私は「名医」ではない「迷医」で発展途上だし、そもそも医者になったのも強い意志や使命感からでもなく偶然や運の命ずるところに導かれてのことなので、こんな人間では物語にならないので記事になりませんよ、と断った上で取材に応じた。
取材者は私より二回りくらい上の方であった。彼女は、私がどういう生い立ちや動機で医師の道を選んだのか、という問いからインタビューを始めた。私は愚直な人間なので、尋ねられるがままに正直に生い立ちを話していった。(「野口英世にあこがれました」とか、「ヘレン・ケラーの話に感動しまして」とか、「苦しんでいる人を助けたくて」といった話をしても良かったが、それは本当の理由でないので話さなかった。)
私は、貧しい家庭に育った。家は一時生活保護を受けていた。ただ、私が将来の仕事を考える中学や高校の頃は、右肩上がりのバブル前からバブル絶頂期であったので、貧乏生活で困ることはたくさんあったが、悲観や絶望することは全くなかった。将来それなりに働けば食べることに困ることはないだろうし、会社や官庁に勤めたら、終身雇用で年々少しづつ収入が増えていくだろうという楽観視があった(今にして思えばお気楽な時代である)。友達や地域の人、学校の先生らにも恵まれた。私の家には車もお金も無いのでレジャーの遠出などなかなかできない状況であったが、何人もの友達家族があちこちに連れて行ってくれた。友達の家で食事を御馳走になったり泊めてもらったりするのは文字通り日常茶飯事であった。あの当時の都会の下町はいろいろ事件もあったが人間味があった。私の周囲は概ね温かかった。金銭勘定だけから考えると、友達・地域の人たちからは一方的にいただくばかりだったように思う。それは研修医時代まで続いた。世話になった皆さんは数知れず、今でも頭が上がらない。
貧乏生活については最近の芥川賞作家の西村賢太が小説『苦役列車』でいろいろ書いているが、私も同時代に都会の下町で貧乏生活を送った者として共有するところがかなりある。彼の言う「苦役列車」に乗る労務者の集合場所は私の小学校の学区内にあった。私は彼ほどの危ない労働はしていないが、身近な人間でそういう労働をしていた人は何人も知っている。
私が貧乏話をするとネタはいくらでもあるのでついつい口が滑ってしまう。終わらなくなってしまう。先日の取材でもいろいろ話したが、上品な彼女には想像外の世界であったようだ。そんなことはともかく、ブログで個人的な話をするのは私の意図ではない。
貧乏生活は確かに苦しかったり困ることも多いが、今の日本では、生活保護制度があることが本当に救いだと思う。経験者なら同意される方も多いと思うが、生活保護スレスレの収入状態である方が生活保護を受けるよりずっと苦しい。例えば、医療を受けられるかどうかが大きい。私も、生活保護を受けることになって自由に歯医者にかかることができるようになったときは本当に嬉しかった。そうした体験は私が医師を志した一つの理由だ。
周知のように、生活保護制度というのは、憲法で保障する生存権を保障するものであり、最後のセーフティネットとして、きちんと機能すべきものである。どんな苦境や不運にある人でも最低限の生活ができるように保障するというのは、成熟した国家の品格を表すものとしても大事な制度である。(今や、日本には長期的に確約される政策や社会保障システムは生活保護制度の他には無くなった。教育、医療、児童・子ども手当、年金、それぞれに「自己責任」「自己負担」が年々増しており、骨抜きになってきている。)
先日、NHKのスペシャル『生活保護 3兆円の衝撃』という番組を見た。その表題から視聴前に想像されるところであったが、見てみると実際、内容はなかなかもって弱者に厳しいものであった。番組では、いろいろな「問題」が描かれていた。番組いわく、生活保護制度にかかるお金はもちろん税金であるがその金額が年間3兆円にも達している、しかも働ける力を持っている人間が働こうとしない、そればかりか、生活保護では医療費が無料なので、病院にかかって睡眠薬などをたくさん処方してもらってその薬をネット販売して利益を得ている輩がいる、などなど。
その睡眠薬の話では、モザイクがかかった「患者」と称する輩が「医者がもうけるために(自分が)言わなくてもたくさんの薬をくれるから(処分に困って仕方なくネットで売っている)。」と話していた。全くの嘘である。生活保護制度にお世話になった人間としても医者としても、まったく腹立たしい奴であるが、それはさておき、取材者のレベルの低さには閉口した。診療報酬制度についてわざわざ図式化して示し、医者が薬を出せば儲かると解説していたが、大誤解である。今や、院外処方が大多数で、どんな薬をどれだけ処方しても医師にも何の利益もなく、逆に多種の薬を処方すれば一定割合で支払い側(健康保険組合)から支払を否認される。しかも、その否認された薬剤の金額分は処方した医師の負担になる(だから院内処方であっても赤字になる)。私の診療所でも、患者さんに本当に必要な薬であっても保険組合から否認されて、結構な金銭的被害を受け続けている。先の「患者」が「不眠症」「うつ」などを執拗に訴えなければ、医師がたくさんの向精神薬を処方するはずはないのだ。医師側が生活保護患者で儲けるならば入院させて余計な検査や治療行為を行うくらいしかないのだ。NHKは報道する前に誰でもいいからそこら辺の医者にウラを取らないのか。こんなレベルの低い「取材」をするのが天下のNHKでは、松本サリン事件の誤認逮捕の二の舞は何度でも起きるだろう。
医療問題でつい話が脱線した。この番組の主題は「無駄な生活保護費」をいかに削るか、にあったようだ。働けるのに働かない生活保護受給者をいかに「自立」させるか、また、生活保護を受ける要件が本来無い人に生活保護を受けさせずにいかに水際で阻止するか、といった世知辛い話がメインであった。ある経済学者は、水際阻止の必要性を強く説いていた。彼は、ナチスの優生保護法の支持学者のような感じで、いかにして劣悪な人間たちが生活保護を受けることのないようにするか、いかにして生活保護受給者を矯正して働かせるか、につき話していた。しかし、彼の主張は、実務家ならばその危険性がすぐわかることだ。生活保護は「最後」のセーフティネットなのだから、もし間違って、生活保護を受けさせないと生きていけない人を間違って「働ける人」などと誤認して保護を受けさせなければ、申請者の命にかかわることだ。生活保護制度の性格上、「間違って生活保護を受けさせてしまった」ケースが存在するくらいでなければ、制度の運営は正しくない。もちろん、生活保護を受けながらベンツに乗っているような不正受給ケースはある(実際に私は何人もの不正受給者を見てきた)のだが、それはそれで刑事罰にするなりたくさんの複利をつけて返還を求めるなりすればいいのだ。
先の、血も涙もないような、ナチス優生保護法信奉のような経済学者、学習院大学経済学部の鈴木亘氏の発言については、ネットでその真実を知った。彼のブログによると、NHKが彼の発言の一部を拾って彼の意に反して一方的に意図的に作り上げたものらしい。彼の名誉のために記しておきたい。
NHKは本当に、アメリカ、かの国で優勢な新自由主義に毒されている。9・11の時のワシントン特派員のT氏などは典型的だ。私は彼の欺瞞的な語りを聞くとムシズが走る。思わずアレルギー性蕁麻疹が出そうになる。医療関係のみならず、NHKは米国の国益のための宣伝媒体かと思うことがいくつもある(製薬産業の問題など、この件は項を改めて論じたい。)。NHKのNはNihonのNではなく、米国の米国による米国のためのNationalのNかと間違えそうになることがある。
しかし、過去にはそのNHKも、生活保護の問題につき、今回と全く逆の論点で報道していた。数年前の『NHKクローズアップ現代「助けてと言えない―いま30代に何が」』では、「自己責任」が過剰に喧伝されるようになったために、生活保護を受けないと生活が成り立たない人が「自己責任だから」と生活保護の申請をためらい、時には餓死にまで至るケースもあるというケースが紹介されていたのだ。
ジャーナリストならば、弱者救済・マルキシズム的な主張を持った人が多い時代は過ぎ去ったようだ。マルクス主義者にも胡散臭いところはたくさん感じていたが、今日の新自由主義者にはもっと救いようのないものを感じる。