この数日の永田町の政治屋さんたちの争いには、あきれた人が多く、たくさんの非難があっただろうから、あえて私が何か言うことも無い。私個人としては現総理も与党も野党も支持してはいないが、解散総選挙が回避されたことは良かったと思う。もし選挙が行われ、「国難を受けての与野党一致体制」などという体制になったら、どんなことになるのか、空恐ろしかったからである。東日本震災以後、政治屋さんたちのみならず、いわゆるオピニオンリーダー的な人たちも何かと震災にかこつけて全体主義的な主張を堂々と披露するようになった(論理に説得力がないから感情に訴えかけるのは、彼らの思考の貧困のゆえだろう。)ため、今回選挙が行われて大政翼賛会的な状況ができたら、本当に恐ろしかったと思う。以前にもこのブログで書いたが、未曽有の事件に当たっては、不安・恐怖心から、人々の思考はall or nothing(全か無か思考、全面的に正しいか全面的に間違っているかという二分思考、「アメリカの敵か、そうでなければ味方か」といった子ども的な思考である。私の専門領域では「認知療法」で治していくべき症状とされる。)になりがちだから、この時期に選挙となることは避けられて良かったと思う。
今回の政治屋たちの騒ぎは「地震が政争の具に使われた」とよく批判されている。それは正しいと思うが、もっと恐ろしいのは次のような、ある政治屋の発言だ。「仮設住宅の建設が進んでいない。放射能漏れが収束していない。今の総理大臣の元では官僚が動かない証拠だ。」などと彼は話した。もしそれが真実ならば、一部官僚が「地震を自分たち官僚組織の権利保全の具に使っている」ことになる。つまり、官僚が自分たちに都合が良い政権・政治家を選んで、政権が気に入らなければ真面目に仕事をしない(戦略的にサボる)、ということではないか。だって、仮設住宅の建設を進めていくことや、原発の放射能を封じ込めることは、政権がどうであろうと、やるべきことは決まっているので、実務家ならば政権云々にかかわらず粛々と同じように働いていくべきだろう。実際、現在被災地の地方自治体の職員は目の前の業務をこなすのに精一杯だろう。中央の政治屋の動きなど見る暇もなく働いているだろう。そんな中、中央官僚の中に、政治屋たちの力関係を見ながら日和見に震災復興の仕事を進めるスピードを変える人たちがいたら、それこそ公務員の職責を果たしていないのだから即刻クビにすべきだろう(残念ながら一部の高級官僚の中にそういう人がいるのでしょうね。)。
公務員も様々である。現場のニーズに関係なく私的利益を追求するのに血道をあげる人もいる。組合活動ばかりやっている人もいる。昔、ある有名な〇〇公社では、労使交渉をすればするほど規定労働時間がどんどん短くなり、ついに1日5時間まで短縮できた、との話を、実際に活動していた人から聞いたことがある。また、私の経験では、ある国立病院で、看護師や事務員のストライキが行われた。ごく短時間(数十分程度)ではあるが、看護師や事務員が仕事を止めるというストライキだ。看護師らが仕事を止めている間、研修医が看護業務を代行した。ナースコール・救急の電話対応・薬を薬局まで取りに行く、などいろいろであった。医師には自分の担当患者がいる。待遇云々で職務放棄はできない。医師は高給取りだからそれぐらい働け、という向きもあるかもしれないが、当時は(今でもか)公立病院の看護師や事務員一般よりも、医師の方が平均給料が安かったくらいだ。研修医の時給など、最低賃金法をはるかに下回っている違法状態であった。過労死や過労自殺する研修医は珍しくなかった。
話が脱線しかけたが、現在のような混乱した政治状況の中だからこそ、国民を大事にする良識のある現場主義の実務家官僚に頑張って欲しい。それこそ政治屋たちの動きに「ぶれないで」国民のために実務をこなして欲しい。自衛隊の現場職員は、震災前に内閣の一員から「暴力装置」などと言われて士気が下がっても、地震と原発対応ではちゃんと働いているではないか。マスコミも、「官僚」として一くくりにして批判するような、単細胞思考はやめて欲しいと思う。