今日は、親類の墓参りに行ってきた。連休の渋滞とは無縁な、車通りのない山道を走って着いた山の中にある墓で、まずは墓石周りの雑草抜きから始めて墓石の掃除、花飾り、それが終わって読経、とやっていく間、車のエンジン音どころか、我々以外の誰の声も聞こえず、ただ風の音とウグイスの鳴き声ぐらいしかない、周りに見えるのはたくさんのヒノキの木とヤマフジの花、という久しぶりの静寂な時間であった。土葬された御先祖の上に簡素な自然石だけ置いてある墓、 比較的新しい戒名のある墓碑の余白の大きさを見るにつけ、自分たちもそこにある大地につながっていく、不思議な安心感があった。
思いかえすと、この度のまさに未曾有の大震災の後、私は「何かをしたいが何をしたらいいかわからない」状態になっていた。阪神大震災の時は、激震地の神戸の大学病院に当直していたので、当然ながら当日よりすべきことはいくらでもあり忙しく、常に動いていた記憶があるが、その中でもわずかな隙間の時間ができると、疲れていてもじっとできず「何かしたい」もどかしさを感じる時があった。今回の心理状態はその時の心境に似ていた。ただ、今回は、日々の平常診療以外、何も被災地に貢献できていないのが大きな違いである。
阪神大震災の時は、私が泊り込みで働いていた大学病院に全国からたくさんの精神科医の方々が来られて、支援をいただいた。まだ研修医で力の無かった私に、将来はこうした活動ができるようになりたいと思わせた。子どもが親の技能を見て憧れる心境にも似ていたと思う。
今回の大震災で被災地の人々に対して気の毒と思いながらも何もできずに日々の診療に追われるだけで数日たった頃、多治見市の市民病院が、被災地から100人の「要治療者」とその家族を、空き病床に受け入れると表明した。現実的な運営の問題について賛否はあろうが、私は良いことだと思った。阪神大震災の当日夜に、ダイエーの中内社長が救援物資を船いっぱいに積んで大阪を出る、とのラジオニュースで安心したことを思い出した。災害直後の被災地では、救援者がいるとわかるだけでも安心につながる。今回の地震でも、被災者の避難場所が、たとえ遠くとも一ヶ所できることは有意義だと思った。ただ、同時に、自分の仕事としては、大変になると覚悟した。阪神大震災の後の医療の経験で言えば、地震後2週間以上してから忙しいのは精神科だけで、他の診療科は平常体制に戻っていた。避難所では次々と精神変調を来たす人が出ていた。大学病院は入院が必要な患者を24時間体制で受け入れ、長期間の入院が必要な人は市の郊外の病院へ転送することを繰り返した。このたびの被災者受け入れに関して、別に私に支援要請が来てもいなかったが、東北の被災地から二、三百人の人が来たらどんな状況になるかと、いろいろ勝手に想像して頭だけ疲れる状態が続いた。がしかし、いまだ一人の避難者も多治見市民病院に来ていない。問題を勝手に自作自演していた私だった。まさに一人芝居である。
未曾有の災害に際して今も命をかけて働き続ける人たちや私のような一人芝居をうつ人間を、御先祖様たちはどのように見ているだろうか。今日は、向こう側から見た自分を考えるための貴重な時間をいただいた。今、こうした静寂な時間を持つ余裕のない被災地の方々にも早くこうした時間がやってくることを祈りたい。