この多治見の地は被災していないのだから、大震災によって患者さんが影響を受けることはあまりないだろうと思っていた。実際、当日の午後診療は淡々と平常通りだったように覚えている。うちの診療所にはテレビを置いていないので、その日は私も患者さんも被災地の状況はわかっていなかったことが大きな要因だろう。テレビの影響の大きさ、破壊力と表現していい、その大きな影響を知るのは、翌日以降である。
当日の夜から2,3日、私もテレビ映像に釘付けになってしまっていた。それを見ながら、自分自身にも阪神大震災その他個人的なトラウマのフラッシュバックが若干生じながらも、やはりそれでもテレビの映像に釘付けになっていた。翌日以降、いくらかの患者さんに影響が出てきていた。何がなんでもまず被災地に行かねば、という気持ちに駆られながらも話がまとまらずに空回りしてしまっていた人、戦時中・戦後の焼野原の光景がフラッシュバックして高揚状態になった高齢者、「(津波で亡くなった人たちに代わって)私が身代わりになって死んだ方が良かった」と涙して語る人、などなど。こうした大災害の後の早期に反応する人たちは、元々の感受性・共感性が強かったり、過去のトラウマがあったり、たまたまその時の病状が悪かったり、という人たちであった。私はまず、とにかくテレビを見ないことが大事だと断言することが多かった。臨床においては、ハーバード大学医学部病院のあちこちに警句として掲げられているという原則、"First,you don't harm"(治療に取りかかる前に患者を傷つけてしまわないか、そのまま経過を見るより治療を施す方が有害にならないか、有害な環境因子が無いかを考えよ)がいつも思い出されるべきである。今回の津波の映像は、上述の人たちに特にharmfulだと思った。向精神薬の投与をどうするかよりも、harmfulな映像を見ないことが大事だと思われた。
大震災から数日すると、今度は、津波の映像の繰り返しだけでなく、AC(公共広告機構)のCMを繰り返し見ているうちに気分が滅入ってくるという人が何人も出てきた。この人たちは、震災後早期に反応した人たちに比べると軽症の傾向があったが、しかしながら、このままでいくとボディブローのように、心身に悪影響を及ぼすことが予想された。やはり、この時点でもテレビを見ないようにと助言することを繰り返した。この頃を思い出すと、確かに、ACのCMは、「子宮頸がん」と「脳梗塞の早期発見」の二つがほとんどになっていた。その後に出てきた「こんにちは~、ありがとう~」という、のどかなメロディのCMも、上記の2種のCMと同じく、震災前に収録されていたCMだったと後に知ったが、なぜ、当初は、あの2種のCMばかり流したのだろうか。私には、製薬会社への配慮(利益誘導)が背後にあったのではないかと思われる。あれは、子宮頸がんワクチンと脳梗塞急性期治療薬t-PA(商品名アクチバシン)の宣伝ではなかったか。地震で皆が不安に陥っている状況下で、新たな不安(子宮頸がんや脳梗塞の発症への恐怖)を喧伝することは、刷り込みには大変効果的である。オウム事件の時にTBSテレビが麻原彰晃の画像の途中で、意識されないスピードで(数十分の1秒?)ドクロ画像を忍び込ませたサブリミナル画像事件を思い出した。不安な状況にある人は、その不安が強ければ強いほど、他者のコントロールを受けやすい。今回のACのCM(というかそのCMを意識的に選んだテレビ局なのかもしれないが)には、卑劣なものを感じた。私の考えすぎであろうか? 誰か、この辺りについて検証している人がいるのだろうか?