「過敏性腸症候群」という病気がある。ストレスを感じた時、例えば心理的重圧のかかる仕事の前、満員電車の中などで、お腹が痛くなって便秘や下痢を起こす病気だ。心療内科では結構多くの方がこの症状を訴えてくる。特に、下痢を起こすタイプの人は、会議や電車で困るので、苦痛が大きい。最近は、「男性の下痢型過敏性腸症候群」に限って結構治療効果のある薬が開発され、時々症状が劇的に改善して患者さんに喜ばれることがある。
過敏性腸症候群の病理は、「脳腸相関」で説明される。その「脳腸相関」説によると、脳がストレスを感じる時、腸の中のセロトニンが増え、そのセロトニンが腸の動きを刺激するために腸が過剰に動いて下痢が生じるという。しかし、「相関」関係ならば、逆に腸から脳に働きかける関係があってしかるべきなのだが、それがこの理論でははっきりしない。脳が腸に影響を及ぼす、という一方的関係を示すだけで「相関」というのは理論としては不出来だと思う。
身体の中の各種臓器間の相関関係という点では、例えば各種の臓器から出るホルモンにはもう少しわかりやすい相関関係がある。例えば、バセドウ病では、甲状腺から甲状腺ホルモンが過剰に放出される状態になるが、脳はそれを感知すると甲状腺を刺激するホルモン(TSH)を抑制する(脳が産生するTSHを少なくすることにより甲状腺のホルモンを少なくするように働く)。一方が過剰になれば一方が少なくなって、全体として恒常的・安定的な状態を作るシステムになっている。ちょうど、自然界の食物連鎖のような形だ(イワシが増えるとそれを食べるマグロが増えて、マグロが増えすぎるとイワシが減って・・・という話)。
過敏性腸症の診療では、確かに脳が腸に及ぼす力の大きさを実感する。抗不安薬を服用してそれが脳のリラックス状態を作ることで腸の過剰活動を抑制するのは理論上わかりやすいことだが、SSRIなど、腸のセロトニンを増やしてしまう副作用がある(つまり下痢の副作用がある)薬を投与しても過敏性腸症が良くなることがある。つまり、SSRIという薬が腸へ悪影響を与えても、同時に脳のストレス状態を減じれば、結果的に腸の状態は良くなる、ということになる。こういう事実だけ見ると、腸の動きを調整するのはもっぱら脳であるかのように思われる。
しかし、そもそも腸という臓器は、脳をほとんど持たないミミズなど原始的な動物にも、馬や犬などの高等な動物にも存在する。外界から栄養を取る動物の生命維持に大事な腸という臓器の運動は、食べ物の状態や腸内の菌や毒素の状態を腸という臓器が自律的に判断して動く(例えば、毒になる食べ物や毒素は早く外に出すようにすべく下痢をする)のが主であり、それ以外のケースとして、自律神経系の影響を受ける。それは例えば、シマウマがライオンに追われそうになる時、交感神経が働いて、腸の動きが止まり、走って逃げていくのに好都合な状態にする、という具合だ。私が学生時代にはそのようなシステムとして腸という臓器の生理を教わった。その生理学で考えると、過敏性腸症候群というのは、腸の動きの統制システムの大混乱と言える。人間の脳が緊張状態にある時、交感神経系の活動が活発になっているので、逃げるシマウマのように消化管の動きは止まる(例えば唾液は出ないので口が渇くのは誰でも経験する)のが普通だ。それなのに、緊張すると下痢になる、では逆である。ライオンに睨まれたシマウマが下痢をしたらすぐ捕まって食べられてしまうだろう。人間でも、食料事情の厳しい状況の国で過敏性腸症になったら栄養失調で死ぬリスクは高まるだろう。未だに病理がよくわからない、現代の先進国ならではという感のある心身症である(心身症一般に先進国に多いようだが)。
過敏性腸症の病理を考えると、「中枢にコントロールを任せすぎた腸という臓器」「中枢に圧倒される末梢組織としての腸」というイメージを連想する。また、東京という中枢に政治経済の機能が集中しすぎて、疲弊している地方組織を連想する。あの大震災を経た最近になって再び、「首都直下地震が来たときに行政の中枢としての機能をどうするか」が議論され始めたというが、地震が起きる前に地方のあちこちに機能を移転しておくのが現実的ではないだろうか。過敏性腸症に限らず、心身症の臨床では、頭でっかちにならず「体の声を聴く」ように身体感覚を鋭敏にして、脳という中枢と手足や胃腸という末梢組織との有機的な連携ができるように図っていくと症状が軽快していくことが多い。日本においても、地方という末梢組織と、東京という中枢のバランスが取れないものだろうか。
でも、『バカの壁』著者の養老孟司先生ならば、社会は脳組織に似せて作られた「脳化社会」になっているし、人間の脳は大きくなるように進化しているのだから、この流れは止められないとおっしゃるかもしれない、などとも思う。