今さら何を、という方もおられようが、私は、インターネット空間のことがよくわかっていない。そこは、私的な覚書なのか、仲間同士の連絡帳であるのか、駅の伝言板(若い人には何のことかわからないだろうが)なのか、新聞なのか、トイレの落書きなのか、電柱広告なのか、図書館なのか、劇場なのか・・・。おそらく現実世界のそうした物の代替物であったり、空想の産物であったりするのだろう。オールドファッションの私としては、ブログに「書く」には、現実の空間で「書く」「話す」ように、「読み手」「聞き手」という相手をできる限り、ある程度想定して書きたいと思う。全くの独り言になるのなら公共空間に必要ないと思う。日本はただでさえ余分なアナウンスや広告だらけで、毎日の生活の中で聞きたくも見たくもないものにあふれている。ヨーロッパには行ったことはないが、駅のアナウンスや町の広告はかなり少ないと聞く。かの地には、その車の中にはいない政治家の名前を連呼するアナウンスカーなど無いのかもしれない。
「精神科医」は、このところ本当に饒舌となった。たくさんの精神科医がたくさんの本を書き、マスコミにも「心の闇」の「解説」などしている。この分野(医学の他分野についてもそうだろうが)については、病気の診断や薬などにつき、何か一般的なことを発信する必要は無くなったと言える。日々の臨床活動で、相手の言葉の意味は何か、自分が発した言葉はどう受け取られるか、を毎日考えて脳が疲れ、帰宅する時には「言葉はもうたくさん」となってしまっている私からすると、たくさんの本や書き込みや解説をしている臨床医の存在にはそのパワーに驚いたり、「本当に臨床医なのか」と疑問を持ったりする。「精神科医の言うことはもうたくさん。彼らは心の闇のことなどわかってなんかいない」という一般人の読み手は、かなりの良識を持った方かもしれない。マスコミに出てくる彼らのコメントなどを見てそう思うことは私にもしばしばある。私が中学生くらいまでは、世間で起きた奇怪な事件の解説は作家や大学教授がするところであったように記憶する。
現代の精神医学・医療の問題に触れれば、終わらなくなってしまう。序文としてはもうこのくらいにしておくべきなのだろうか? 普段ブログというものをほとんど読まず、その作法もわからない人間はすでにここで躓きかけているのだが、まあ、始めるとしよう。