この本に惹かれたのは、患者さんの語りや笑顔でもあったが、
本の題名にも惹かれたのだった。
「あした死んでもいい」覚悟は、今ここで生きていることを充実させる。
本の題名にも惹かれたのだった。
「あした死んでもいい」覚悟は、今ここで生きていることを充実させる。
古来より洋の東西で、
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
「メメント・モリ(死を忘れるな)」
と説かれてきた。
私たちはいつ死ぬかもしれない。運命は全くわからない。
でも、自分がいつかは死ぬことを意識しながら毎日を大事に生きると、
世の中が違って見える。
人との出会いや運命に感謝の気持ちが出てくる。
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
「メメント・モリ(死を忘れるな)」
と説かれてきた。
私たちはいつ死ぬかもしれない。運命は全くわからない。
でも、自分がいつかは死ぬことを意識しながら毎日を大事に生きると、
世の中が違って見える。
人との出会いや運命に感謝の気持ちが出てくる。
そういう哲学的な話はえてして抽象論、机上の空論、
「浮き世離れ」と受け止められがちであるが、
日本には良き伝統があって、物事を行う作法、具体的な動きを通して
「あした死んでもいい」境地を実感できるような文化がある。
柔道や剣道、弓道といった武道や、
書道や茶道、華道などの芸術で、
(多治見市や土岐市では陶芸という芸術も一般に広く普及している)
礼儀や作法を体験し、
その結果として「あした死んでもいい」境地に近づく。
「浮き世離れ」と受け止められがちであるが、
日本には良き伝統があって、物事を行う作法、具体的な動きを通して
「あした死んでもいい」境地を実感できるような文化がある。
柔道や剣道、弓道といった武道や、
書道や茶道、華道などの芸術で、
(多治見市や土岐市では陶芸という芸術も一般に広く普及している)
礼儀や作法を体験し、
その結果として「あした死んでもいい」境地に近づく。
つまり、日本の文化では頭の中の考えた理屈をこねくりまわして
「あした死んでもいい」との境地を得ることよりも、
実際に心身を動かしてそのような悟りを得る方策がたくさんあるのだ。
難しい哲学書を読まなくても、自分の好きなことを通して、
例えば運動が好きな人は武道から入って、
飾り付けが好きな人は生け花や書道から入って、
歌うことや言葉遊びが好きな人は詩吟や俳句から入って、
物作りが好きな人は陶芸や木工から入って、
それぞれの好みや資質から入りやすい世界を通して悟りを得る。
「悟り」と言うのが大げさならば、
「生きる覚悟」「腹がすわる」心境と言ってもいい。
「あした死んでもいい」との境地を得ることよりも、
実際に心身を動かしてそのような悟りを得る方策がたくさんあるのだ。
難しい哲学書を読まなくても、自分の好きなことを通して、
例えば運動が好きな人は武道から入って、
飾り付けが好きな人は生け花や書道から入って、
歌うことや言葉遊びが好きな人は詩吟や俳句から入って、
物作りが好きな人は陶芸や木工から入って、
それぞれの好みや資質から入りやすい世界を通して悟りを得る。
「悟り」と言うのが大げさならば、
「生きる覚悟」「腹がすわる」心境と言ってもいい。
宮沢賢治が「農民芸術」を称揚したのも(『農民芸術概論綱要』)
そういう日本の伝統文化をわかっていたからだと思う。
そういう日本の伝統文化をわかっていたからだと思う。
しかし、武道や芸術は、普通は毎日するものではないし、労力も要る。
一方で「片づけ」は毎日必要なことである。すぐ目の前にモノはある。
この本の筆者はその片づけという行動を一つの修身法として、
平たく言えば、健康に生きるための行為、という視点から考える。
筆者は「なんのために片づけをするのか」と問われれば、
「幸せになるために」と明快に答える。
そして、筆者の言う「片づけ」はモノの整理に限らず、
普段の心の持ち方、人間関係のあり方に及ぶ。
この本の筆者はその片づけという行動を一つの修身法として、
平たく言えば、健康に生きるための行為、という視点から考える。
筆者は「なんのために片づけをするのか」と問われれば、
「幸せになるために」と明快に答える。
そして、筆者の言う「片づけ」はモノの整理に限らず、
普段の心の持ち方、人間関係のあり方に及ぶ。
著者は言う、
「では、心のありようが未来を決めるのであれば、
どうしたらいいのでしょう。・・・
人のことを悪く思わない。『あの子がこうしたから』あるいは
『こうしなかったから』と、不平や陰口を言わないことです。
うれしい、ありがたいと思っていると自然にいい人間関係になります。
人の悪いところばかり見ていると不平不満が出ます。
そして不機嫌になります。」
また、時間の使い方については、「その日暮らしをしない」の項で、
「行き当たりばったりでその日暮らしをしないということです。・・・
『お買い物の途中で友達とばったり会ったのよ。
つい長話してしまったわ』とか、・・・
それにいちいち考えなしに対応していたのではあっという間に
時間をとられ『もうお昼?』となってしまいます。
それでは自分がありません。・・・
その日暮らしは大きな時間の損失です。
まず、今日の自分はどうしたいのか、なにを優先するのかを
しっかり考えることが大事です。」と語る。
それは、一見他人に対してわがままに振る舞うように聞こえるが、
著者は、
「人は損得の物差しでおつきあいしがちですが、
気持ちでおつきあいを考えたほうが実のあるおつきあいができます。
大切な人との時間はとても有意義でいい時間です。」
と語る。
そのように人間関係を「片づけ」し、「あした死んでもいい」生き方を
追求しているし、その実践のコツがあちこちに書かれている。
「では、心のありようが未来を決めるのであれば、
どうしたらいいのでしょう。・・・
人のことを悪く思わない。『あの子がこうしたから』あるいは
『こうしなかったから』と、不平や陰口を言わないことです。
うれしい、ありがたいと思っていると自然にいい人間関係になります。
人の悪いところばかり見ていると不平不満が出ます。
そして不機嫌になります。」
また、時間の使い方については、「その日暮らしをしない」の項で、
「行き当たりばったりでその日暮らしをしないということです。・・・
『お買い物の途中で友達とばったり会ったのよ。
つい長話してしまったわ』とか、・・・
それにいちいち考えなしに対応していたのではあっという間に
時間をとられ『もうお昼?』となってしまいます。
それでは自分がありません。・・・
その日暮らしは大きな時間の損失です。
まず、今日の自分はどうしたいのか、なにを優先するのかを
しっかり考えることが大事です。」と語る。
それは、一見他人に対してわがままに振る舞うように聞こえるが、
著者は、
「人は損得の物差しでおつきあいしがちですが、
気持ちでおつきあいを考えたほうが実のあるおつきあいができます。
大切な人との時間はとても有意義でいい時間です。」
と語る。
そのように人間関係を「片づけ」し、「あした死んでもいい」生き方を
追求しているし、その実践のコツがあちこちに書かれている。
哲学的、自覚的な生き方を追求しながらも、あくまで語りは優しいし、
具体的である。
具体的である。
世の中に心理学や精神医学関係の本で読んでも仕方ない本は
あふれているが、
(おっと、「不平や陰口」が出てしまった。反省。)
本書はそういう分野と異なりながらも
読者の心が整理されていく良書である。
あふれているが、
(おっと、「不平や陰口」が出てしまった。反省。)
本書はそういう分野と異なりながらも
読者の心が整理されていく良書である。