「人生には歌がある」と俗に言われる。
人間、長く生きていれば楽しい時期、辛い時期があるが、
その時期によって人それぞれ、
その時の気分に見合って浮かんでくる歌、曲があると思う。
しかし、そうした自分の心象風景にマッチした曲は、
必ずしも自分の好みに合った歌でもなく、他愛もない歌であったり、
自分の嫌いな歌詞やメロディーの曲であったりする。
PTSDの患者さんが、
思い出したくもない曲が流れるとトラウマ体験を思い出し、
苦しくなることがあるが、それはPTSDの患者さんに限らず、
広く私たちに共通することだと思う。
私が、好きでもないのに自分の思い出に伴って出てくる曲の一つは、
PL学園の校歌だ。
私が卒業した中学や高校の校歌を全く覚えていないのにもかかわらず、
今でもPL学園の校歌はそらで歌えてしまう。
それは、70ー80年代に高校野球観戦で
PL学園の校歌を何度も聞かされたのが大きな原因だろうが、
その頃の私が、夏休みに魚釣りや工作、草野球やトランプゲームなど、
自分の好きなことに熱中し、ゆったり過ごせた、
当時の良き思い出につながっているからだと思う。
PL学園の校歌は、歌として見れば失礼ながら名曲ではないが、
私個人の良き思い出につながっているからこそ
今でも良き歌として記憶されているのだと思う。
逆に、私の嫌な記憶を思い出す曲は、尾崎豊だ。
尾崎ファンの方は気を悪くされると思うが、
私の仕事で辛い局面にある時にしばしば尾崎の曲を聞かされた。
私が今でも思い出すのは、
精神科病棟に強制的に入院させられた患者のみならず、
自発的に入院してきた患者の中でも、
迷惑行為、犯罪行為、例えば、他の入院患者に暴力を振るったり
(私、看護者や他の入院患者に対し殴る蹴るのみならず、
他の入院患者にひどい暴言、女性患者の髪に火をつけて燃やすとか、
抵抗できない女性入院患者に性的暴行、など)、
必要もないのに大声を上げたり火災報知器を鳴らしたり、
病棟内で万引きしたり、などなど数限りなくあるが、
そうした厄介者(「人格障害」との一応の診断はある「障害者」)に
困らされた嫌な記憶を思い出す時、
尾崎の曲が私の頭に流れてくる。
それは、ある思春期の厄介患者の母親が是非聴くようにと
わざわざ私に尾崎の曲のカセットテープをくれた記憶や、
別のある厄介患者が自分の暴力を正当化するのに
尾崎の歌詞を援用した文章を書いてよこした記憶などに
端を発しているように思う。
尾崎の曲には、自分の欲求が満たされなかったとき、
自分が社会的に認められないときに、
怒りをぶちまけるような歌詞がたくさん出てくる。
尾崎自身がどのような人柄であったのかは知らないが、
彼の歌詞に共感する人格障害者は、
勝手に自分が世界で一番不幸だと思いこみ、
その不満から他人を傷つけ、その行為を正当化する。
(私自身は、生活の困窮やイジメなど、辛い目にたくさん遭ったが、
尾崎が歌うように学校や社会全体を恨んだり罵ったりしたくなることは
無かった。
「日本死ね」と言うように、自分が不幸だから国全体を呪う、
という心境に至った覚えは無い。)
このたび、
夜中に眠っている心身障害者を次々に殺傷する、
という悲惨な事件のことを聞き、
私は自分が見てきた人格障害者たちを思い出し、
尾崎のある曲で、
放課後の学校の窓ガラスを割って回る、
という内容の歌詞を思い出してしまった。
窓ガラスを割るようにして簡単に殺されたたくさんの命を思うとき、
私は自分の言葉を失い、悲しむことも怒ることもできず、
ただ、尾崎の曲が私の頭にリフレインした。
(※これは、大きなショックを受けてなすすべきことも見つからない、
無力な一個人の勝手な反応であり、
今回の事件に対して尾崎豊は何の責任もないことは、
あらためて強調し、お断りしておきます。)